神戸バレンタイン・ラブラン感想記

 

(感想記)

私は、神戸の町をゆっくりと走り始めた。私の2度目のハーフマラソン挑戦である。今回は、晴天に恵まれ、最高のコンディションで走ることが出来た。前回のハーフマラソンは、雨で最悪のコンディションの中、苦痛に耐えながら走った。その苦しかった大会の時にもらった記念Tシャツを着て、今回のマラソンに挑んだ。

走り始めて、数分間、私は、みんなのTシャツを楽しんでいた。様々なTシャツを着て走っている。年輩の人を見かけた。彼は、尼崎シティー国際マラソンの大会記念Tシャツを着ていた。私は、'99 11/28に尼崎シティー国際マラソンの10km部門に参加したので、親近感を覚えた。しかしよく見ると、そのTシャツに '88という数字が見えた。どうやら、かなりのベテランランナーらしい。しかし私は彼よりもずっと若い。負けてはならぬと思いつつ、また別の人のTシャツに目をやった。その人の背には、「お先にどうぞ」と書いてあった。これには、少し笑ってしまったが、遠慮なく、お先に行かせてもらった。最初は、かなり速いペースでがんがんとばしていった。

2, 3km走ったところで、足の裏のすじが痛くなってきた。これには、さすがにやばいと思った。まだ走り始めたばかりなのにもうこんな状態かと、少々、絶望感に襲われながら、とりあえず痛みをかばいながら走った。いつ棄権してもおかしくないとさえ思った。しかし、痛み出して2, 3kmほど走ったら、なぜか痛みはどこかへ消え去っていた。私は、ほっとしながら走り続けた。

5km地点を迎え、すかさず時計を見た。23分。これはいけると感じた。というのは、私の目標タイムは、1時間45分とこのホームページに記したが、大会当日には、コンディションの良さに1時間40分をきろうという野望が沸いていたのである。そして5kmを23分というタイムは、正にそれが狙えるタイムであった。

5km地点からは、積極的に前に出ていった。走りながら、私は一つの作戦を立てた。今までは、自分のペースで走っていたが、これからは、10m前を走っている人をライバルに走ろうと決めた。そして、前へ前へと出ていった。途中、その気持ちを少しだけ揺さぶるものがあった。それは、前方に並ぶ「スピードを落とせ」の看板である。もちろんそれは、普段、車用に使われている看板である。まさかそれを大会の為だけに外す訳にもいかない。ランナー達は、そこを苦笑しながら通過していったに違いない。私は、ただ、あまのじゃくになるしかなかった。その看板を尻目に更にスピードを上げ、今までより一層、前へ前へと進んでいった。それが功を奏し、10km地点を45分で通過した。これには、私自身驚いた。前半5kmより速くなっているのである。

10km地点の給水所で、水を取り、少し口に含ませて、残りを頭からぶっかけた。その気持ちのよかったこと。急に元気になったような気分である。そして更に前に進んでいこうと、その時10m前を走っていた人を目標に追いつこうと頑張って走った。彼を捉えようと何km走ったであろうか。距離はちっとも縮まらない。テレビのマラソン中継でこのような光景を見かけるが、前の人に追いつこうとするが追いつけない人の気持ちが身にしみて分かった。10km地点以降は、私と彼とのマッチレースの様相を呈していた。もちろん私の中では、であるが。周りは何も見えていなかった。この状態がおそらく5kmほど続いたであろうか。距離は縮まらないどころか、少しずつ広がっていると感じた私は、彼の追跡を泣く泣く諦めた。そして標的を他へと移した。

15km地点からは、第二のトラブルに見舞われた。太股がひりひりしてきたのである。マラソンをしたことがない人は、なんでそんなことが起こるのか分からないかもしれないが、走るときにパンツが揺れ、太股と擦れ、そしてそれが長距離、ずっと続くと、擦れて赤くなってくるのである。ランナーは、これを避けるために太股にワセリンを塗ったりするのだが、私はそれを忘れ、何も塗らずに走っていたので、こういう事態に陥ってしまったのである。自業自得なのだが。。。そこからは、手で太股が擦れないようにパンツを持ち、不格好に走った。途中、「がんばれ、がんばれ」という沿道にいた小さい子供二人の応援に少し笑みを浮かべながら、彼らから力をもらい、更に力強く走った。

最後は、1時間40分をきれることを信じ、スピードを落とさず、走り続けた。最後の最後に現れたアーチ型の橋はきつかった。もちろん登りの部分がである。それを越えると、ラストスパートである。ゴール地点には大勢の人が待っていた。その間を100m走と同じスピードで走り、そのままゴールを駆け抜けた。そして気になるタイムに目をやった。1時間35分である。まだ正式なタイムをもらってはいないが、私のストップウォッチでは、確かに35分とある。40分をきれたのである。更に驚くことに、私には、まだ余力があった。もっと速く走れていたのにという後悔と共によく走ったなあという喜び。前回のハーフマラソンでは、ゴールで瀕死状態だったことを考えると、同じ距離を走ったことが信じられなかった。前回の挑戦から20日しか経っていないのにもかかわらず、前回の1時間55分から20分も記録を縮めることができたのである。

ゴール後、更衣室で着替えをしていた。その時、話し声が聞こえてきた。「やっぱハーフはきついわ〜。」これを聞いて、この人は、普段10kmを走っている人かと思った。しかし、その後の会話を聞いて、そうでないことが分かった。「スピード狙おうとするからなあ〜。これ以上、短いのは走れんわ。」みなさん、お分かりですね。

次は、4月のフルマラソン。今回より厳しいレースになるのか、はたまた逆に比較的楽なのか。それは分からないが、ただ一つ言えることは、何れにせよ、フルは、私の走り始めたときの目標であり、私はその達成を確信しているということである。('00 2/13)

 

[補足]4月のフルマラソンは、大会事務局側の都合で中止となりました。

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