高槻シティハーフマラソン感想記

 

(感想記)

1月23日。天候雨。気温4度。雨天決行の過酷なレースが幕を開けた。高槻シティー国際ハーフマラソンである。その中に一人の男がいた。彼は、どう見てもマラソンに恵まれた体型とは言えない。去年の10月までは運動を全くしていなかったのである。が、わずか3ヶ月のトレーニングでハーフマラソン出場に踏み切った無謀な奴である。これは、そんな彼のレースの記録である。

彼は、レース直前まで迷うことがあった。寒い雨の中、どういう格好で走るかである。しかしそれは、彼だけではなかった。彼の周りからも同様の悩みの声が聞こえてくるのである。そして彼は決断した。半袖のTシャツにハーフパンツで走ることを。そしてレースは始まった。冒頭で「過酷なレース」という言葉を使ったが、これを過酷と言わずして何を過酷と言うのであろうか。これは、足の痛さとの戦いというより、むしろ寒さの戦いと言った方がいいのかもしれない。彼に打ちつける雨が痛いとさえ感じたこともあった。雨の中、すぶ濡れで彼は走り始めた。

アスファルトは、水たまり。場所によっては、右端から左端まで水たまり。よけようにもよけられない、飛び越えようにも飛び越えられる大きさではない。砂地は、どろどろ。泥がはねて、前の走者にかけられることもある。彼のTシャツ、ハーフパンツ、シューズは水を含んで重くなっており、Tシャツに四方をクリップで留められたゼッケンさえ、それが揺れる時に重さを感じる程である。その濡れたTシャツは彼の肌に貼り付き、そこへ風が吹きつけてくるのである。

5km程走ったであろうか。彼は、ふと自問自答し始めた。「僕は、なぜ走っているのか?何の為に走っているのか?」その答えを探すべく、彼は走り続けた。しかしいくら考えても答えが出てこない。考え始めて5分。もう彼はその答えを見つけることができないまま、頭を真っ白にして走っていた。

7kmくらい走ったところで、彼は、前方にランパン、ランシャツという気合いばりばりのおじいちゃんを見た。「こんなおじいちゃんがこんな格好で走っている。負けてられるか」と20代の彼は刺激され、さらにスピードを上げた。もうすぐ10km折り返し地点。彼はそれを一つの目標に走った。そしてついに10kmに到達した。タイムは、53分47秒。彼にとっては好タイムである。

10km地点の給水所で彼は少し水を口に含ませようと考えた。大会のスタッフが水を持って差し出している。それにすかさず手を伸ばす彼。しかし無情にもそのカップは、彼の手をはじいた。その寒さの中、彼の手はすっかり麻痺しており、カップを掴むことさえできなかったのである。手だけではない。もはや全身が麻痺していた。足に痛みを覚えることもないくらいに麻痺していた。それがかえって良かったのかもしれない。彼は、自分の足を走らせているというより、勝手に走っていく足に乗っかっているという感覚で走っていた。

10kmを過ぎ、どれだけ走ったであろうか。彼の右斜め前方から、大会スタッフに連れられて逆方向に歩いてくる男がいる。その男は、頭痛なのか右手を頭に押しやり、うつむき加減で苦しそうな表情を浮かべてすれ違っていった。どうやら脱落者らしい。が、人のことを構っている場合ではない。いつ同じ立場に立たされるか分からないのである。

更に数メートル走ると、彼は、今度は、コースから大きく離れていく男を前方に見かけた。何だろうと思いつつ、彼を目で追っていくと、どうやらトイレらしい。大会前は、トイレが混雑する。それでトイレに行けなかったのか、行ったがこの寒さの中でまた行きたくなったのか、彼は知る由もなかったが、そこから10mばかり走ったときにはそんなことはもうとっくに頭になかった。

12kmくらい走ったところで、前を行く3人が目に入った。彼は、彼らの格好をすかさず記憶した。なぜだろうか?彼にはこんな考えがあった。「今は、少し力を温存しよう。彼らに先を行かせよう。しかしだ、15km地点でスピードを上げ、ゴールまでに彼らを抜いてやる」と。そんな目標を胸に、彼はそれを達成すべく走り続けた。

15km地点を通過し、彼は一気にスピードを上げた。次々と抜いていく快感に浸りながら。しかし1kmくらい走ったところでまたペースが元に戻ってしまった。そんな苦しいときに、前方でスピードを上げていく走者が彼の目に入った。彼は、後を追った。そして「師匠、ついて行きます」と頭の中で囁き、その男の横に並んだ。200mくらい併走したであろうか。彼は「師匠、私は更に前を目指します」と自分に勢いをつけてくれた男に感謝の言葉を言い残し、更に前を目指した。もちろん声に出したわけではないが、併走したことで、一緒に走ろうという気持ちは伝わっていたであろう。

その後、ラストの3キロくらいは、彼の顔はひどく歪み、泣きそうな表情を浮かべていた。顔を覆う雨を涙と錯覚しそうになる程である。もはや彼には前がきちんと見えていなかった。先ほど抜こうと決めた3人を抜いたかどうかも分からない。ただ、一心不乱に走った。「寒い、寒い」という小さな掛け声と共に。そしてようやくゴールが見えてきた。

彼は、ペースを上げ、最後の力を振り絞って4人抜き去った。そして1時間55分6秒でゴールを果たした。その彼がレース中に考えていたことは、そのレースの感想記である。彼は後に感想を記そうと、走りながら、思うこと、感じることなどの文章を頭の中で組み立てていたのである。そうして苦しみを紛らわせていたのである。その文章がここまでみなさんが読んでこられた文章である。そう、その彼とは、今、ここでこの文章を打っているこの私、疲労困憊し、かつ充実感を味わっているこの私である。(cf. 完走証)('00 1/23)


(感想記 完結編)

完走を果たした彼、すなわち私は、その場に倒れ込んだ。と、こういきたいところだが、私には倒れ込んでいる暇はなかった。私の体はすっかり冷えきっており、一刻も早く暖める必要があった。しかしそこはゴール地点。更衣室までは、結構、距離がある。ゴールして足を止めてしまった私に、再び走る体力も気力も残っていなかった。この時の状態をどう描写すれば伝わるだろうか。「頭がくらくら、がんがん、足がふらふら、がくがく」というありふれた言葉ではおそらく伝えきることはできないであろう。こんな状態の中、私は、ゆっくりと走り始めた。ゴール地点から更衣室に向かって。

着替えを済ませた私は、まだ震えていた。とにかくできるだけ早く体を温めたい。その一心で家路へと急いだ。途中、温かいものでも食べようとも思ったが、そこは高槻。私の知らない地。そこで店を探そうなどという気には到底なれなかった。ただ、自動販売機があったので温かい缶ジュースを買った。そしてそれを手や顔に押しやった。すると少しだけではあるが、温かくなった。そしてその喜びと共に缶を開け、そのジュースを口にやった。「ぬるい。」温かいはずのそのジュースは、少しぬるくなっていた。私の体温がジュースを冷ましてしまったのか。

その後、電車に乗り、私の家の最寄り駅に着いた。家の近くでラーメンと焼き飯のセット(900円)を食べた。この時ほど、食事のありがたさを感じたときはなかった。その日、朝早くうどん一杯を食べて以来の食事であった。食べ終わって私が思ったことは、「お腹すいた」であった。何か甘いものが欲しくなり、ケーキとお菓子を買って、ようやく家に着くことができた。ヒーターで体を温め、買ってきたケーキ、お菓子を食べた。幸せを感じた瞬間である。その夜、私はぐっすり寝た。何も覚えていないが、ひょっとしたら夢の中でも走っていたかもしれない。冷たい雨の中を。

それから三日後。その彼はと言うと・・・やはり走っていた。きたる次の戦いに向けて。次にどんな試練が待っているかなど知る由もない。ただ、彼は走り続けるのであった。('00 1/26)


(感想記 番外編)

まず、完走証を見て頂きたい。私の順位が843位とある。しかし何人中か分からない。そこで、私は、大会事務局に問い合わせてみた。まず参加料3,500円を払って参加申込をした人数が2,481名。当日、雨が降っていたため、参加を見合わせた人がたくさんいた。大会会場で受付を済ました人が1,820人しかいなかったらしい。661人が参加料を払っていながら会場に来なかったことになる。では、1,820人全員が参加したかというとそうではない。降りしきる一向に止む気配のない雨を前に、実に243人が参加を断念したのである。結局、当日スタート地点に立ったのは、1,577人。すなわち私の記録は、843位/1,577人中ということになる。決していい記録とは言えないかもしれないが、初心者で2時間をきれた私は、「自分で自分を誉めたい」気持ちである。('00 1/27)

 

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