5泊6日韓国旅行

 

ここでは、私が日本からシドニーに戻る際に立ち寄った韓国での出来事を書いています。

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[前書き]

この韓国旅行のために、2週間、韓国語の猛勉強をした。それでも、それまで韓国語なんて全く話せなかったので、たった2週間の勉強ではまだ片言レベルである。韓国語の勉強ばかりしていたので、計画も全く立てずに韓国に向かう。さあどうなることやら。

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[2003年7月23日]

天候は雨。朝5:00に目覚ましをセットしたものの、6:30に起きる。それでも余裕で間に合い、10:00発の飛行機に乗る。両隣とも日本人のおじさん2人組。韓国人なら話そうと思っていたが、ここは韓国語の勉強をして過ごすことにする。雨のせいか飛行機が結構揺れた。

空港に到着。早速韓国人の友達の携帯電話に電話する。「もしもし、かずおです」と韓国語で言った。それでも友達は韓国語で話し続けている。「今、空港にいます。かずおです」と言ったが、それでも答えは韓国語で返ってくる。仕方がないので、英語で「かずおです」と言うと、やっと「ああ、かずお!! 他の人と間違えた」と言った。ちょっと嬉しかった。僕の泊まる予定のゲストハウスがある合井(ハプチョン)駅で待ち合わせることにする。

今回は、前に1日の滞在の経験があるので、スムーズに切符を購入し、難なくバスで合井に到着。荷物をゲストハウスに置いた後、すぐに友達との待ち合わせ場所である合井駅に行った。そこには、友達が別の友達を連れて2人で待っていた。韓国人は友達をどんどん紹介する習慣があると聞いたことがある。でもまさか2人で待っているとは思わなかったので、ちょっとびっくりした。友達が連れてきた人 (友達の友達) は宝石のデザイン関係の仕事をしているらしい。3人でレストランへ行った。赤飯とたくさんのおかず (サイドディッシュ) が出てきた。早速、赤飯を食べようとすると、ちょっと待てと言われた。赤飯を皿に移せと言う。言われるがままに皿に移す。ほとんどの赤飯を移し終わったところで、赤飯が入っていた釜にお湯を注ぎ始める。この赤飯味のお湯がいいそうなのである。飲んでみると確かに悪くはない。その店を出ると、その友達が電話して、また別の友達が来るという。3人でその待ち合わせ場所へ。待つこと数分、また別の友達が来た。その友達も宝石のデザイン関係の仕事をしているらしくて、その2人を会わせたかったらしい。4人で近くのカフェに行くと、宝石のデザイン関係の仕事をしている2人が韓国語で話し始めた。4人が2人ずつ向かい合って座ったが、その2人が対角線に座ったので、どうも僕の友達と僕が気まずい状態になった。その友達はその会話を聞いているだけ。そして僕は一言も分からず、コーヒーをすすっている。その友達は、もちろん僕が退屈そうにしているのが分かる。2, 3分後、その友達が席を替わろうと言い、やっと僕とその友達が向かい合って座り、いろいろ話し始めた。しばらく話した後、そのカフェを出た。一人帰って、3人になった。友達がこれからソウルで一番大きい本屋に行くけどどうするかと聞かれ、このまま帰っても仕方がないので、一緒に行った。英語の本や日本語の本まで充実していた。本屋でしばらく過ごすと、そこでお別れ。何だか観光らしいことはせず、長期滞在者のように扱われたような気がするが、まあそれはそれでいい。まだ初日である。

帰り、地下鉄で路線図を見ながら帰り方を調べていると、急に話しかけられた。急に話しかけられたので、何を言われたか、さらにそれが何語だったか分からないが、「えっ?」というような顔をすると、「英語話せますか」と英語で聞いてきた。彼女はオーストラリアのアデレードの人で、観光でソウルに来ていた。ソウルのことをよく知らないのに、路線図とか地図を持って困っていたように見えたので、一緒に探そうとしてくれたようである。少し話をしてお礼を言って別れた。

ゲストハウスに帰ると、たくさんの人がいた。オーストラリア人、アメリカ人、イギリス人、日本人である。オーストラリア人とアメリカ人は、日本に2, 3年住んだことがあって、日本語を話せたので、日本人と日本語で話していた。インターネットをただで使えるので、メールチェックをすることにする。

みんながバーに出かけるという。僕は、今日は朝早く起きて重い荷物を持って歩いた上に飛行機でソウルに来て、また荷物を持って歩き、さらに荷物を置いた後にすぐに友達と歩いて回ったので、とにかく疲れていた。バーには行かないことにする。シャワーを浴び、この日記をメモ帳に書いたりしていたら、みんなが帰ってきた。アメリカ人の人にカップラーメンを頼んでいて、買ってきてくれたので、それを食べて寝ることにした。とにかく疲れた一日だった。

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[2003年7月24日]

朝、10:00に起きて、朝食を食べる。それからNANTA (別リンク)という劇 (パフォーマンス)を予約。言葉をほとんど使わない劇で、韓国のみならず世界を回って成功している劇である。この日の夜8:00から始まる劇を当日の朝に予約したので、残念ながら一番いい席であるVIP席は売り切れ。仕方なく、2番目にいい席S席を取った。

これから28日までの韓国での生活。韓国語の辞書がないと話にならない。辞書は重くなるので持ってきていない。持っているのは、勉強用の小さい韓国語の参考書2冊のみである。ということで、韓国語の辞書を買いに竜山の電気街に行くことにした。買うモデルはもう決まっている。PW-K500という英韓, 韓英, 英英, 日韓, 韓日の5つの辞書が入っている辞書である。日本でも売っているが、製造元が韓国のSharpなので、日本で買うと高い。一番安いところでも25000円くらいはする。輸送費に加え、簡単な日本語の説明書も付けて売っているからである。竜山の電気街に行くと言ったら、ルームメイト (ゲストハウスで同じ部屋に住んでいる人) のオーストラリア人も一緒に行きたいというので、一緒に行った。彼とは、買うものが違うので、向こうに着くと別行動することにした。最初の店へ。値段を聞く。事前に韓国の電気屋さんのホームページを回って最安値の調査はしていた。韓国語のホームページなんて読めるかと聞かれたら、もちろん読めないが、買う予定の"PW-K500"というキーワードで検索して、出てきた韓国の電気屋さんのホームページの中で"PW-K500"と書かれた辺りに数字で値段が書いてあるのでそれくらいは誰でもできる。いざとなれば、韓国語のホームページを日本語に翻訳してくれるホームページだってある。韓国のことも韓国語もよく知らない日本人だから、何も知らないで行くと、ぼったくられても仕方がない。向こうの提示した値段がホームページで見たある店の値段より高いと言うと、急に思いっきり値段を下げ、調べておいた値段より安値の188500ウォン (18850円) を提示してきた。さすが電気街である。まだ一店目なので、保留して回ることにする。5店くらい回って、ほとんど全く同じ値段。188000ウォン (18800円)の店が一店だけあったので、そこで買った。

もっとぐるぐる回って相当な時間がかかると予想していたが、値段に満足してすぐに買ってしまったので、8:00pmのNANTAが始まるまで数時間ある。遊園地に行きたいと思っていたが、遊園地に行く程の時間は無い。ガイドブックなどは重いので置いてきた。どこに行ったらいいか分からなかった。そこで、駅で人を待っている人にソウルのお勧めスポットを聞く。「お勧め」なんて言葉は分からないので、知っている韓国語の単語を並べて気持ちを伝える。その彼に話し始めること約3分。駅の売店から人が出てきて、日本語で話しかけてきた。彼女は、日本へは行ったことがないが、将来日本へ旅行するために毎日日本語会話を勉強しているらしかった。30分くらい話した。この時、結構買ったばかりの電子辞書が役に立ち、彼女が知らない日本語を電子辞書で調べて見せたりした。彼女は、元々釜山から来た人らしくて、結局、ソウルタワーは行っても面白くないという情報以外は得られなかった。

結局、お腹が空いていたので、とりあえず前にも行った明胴に行くことにする。明胴に着くと、ちょっと疲れたので少し腰を下ろした。すると、おじさんが日本語で話しかけてきた。後で分かったことだが、最初は困っている日本人を助けて、ついでに自分の店を勧めてくるのである。それでも日本語で親切に教えてくれた。店ではなく、ある料理を勧めてくれたので、その料理を出している店を探して歩く。手掛かりは店の前にハングルで書いてあるメニューだけだが、どうも見つからない。結局、前の滞在の時に入った明洞餃子にもう一度行くことにする。前に行った時、僕はカルグックスを食べたが、その時、前に座ったおじさんが食べていたマンドゥ (餃子) がすごくおいしそうだったので、それを注文することにする。予想通り、おいしかった。(^^)

お腹をはらすと、ファッションストリートを歩いてハングル (韓国語) 入りのTシャツを探す。この旅の目的の一つである。でも残念ながら見つからなかった。全て無地か模様か英語である。その後、東大門に行くことにする。東大門運動場駅に行き、売店のおばちゃんに道を聞く。どうもこちらの言いたいことが伝わらないのか、答えが得られなかったので、さあどうしようと思っていつものように地図を見ていると、それを見ていた若い男性が「何を探していますか?」と英語で話しかけて来た。カナダに7年いたことがある韓国人らしい。東大門駅に行った方がいいと言われたので、そちらに行くことにする。

東大門付近をハングル入りのTシャツを求めて歩いて回る。でもやはり見つからない。何も買わないまま買い物を終えようとしていた時、日本の電気製品を韓国のコンセントにつなぐためのアダプターを見つけた。日本と韓国のコンセントの形は違うのだが、同じだろうなんて勝手に思ってアダプターを持って来なかったので買うことにした。値段を聞いた。日本人観光客が多いため、日本語を話せる店員もたまにいる場所なので、「300円」と日本語で言ったのかと思った。「安い!!」と思ったら、実は韓国語で「300ウォン」(サンペクウォン) と言ったのだった。300ウォンということは、30円である。アダプターを日本で買えば、1000円以上はするのでは? 30円という値段に驚き、当然すぐに買った。後で使ったが、普通に使えた。

買い物を終え、NANTAを見に行くことにする。買い物中に「いくらですか?」という表現を使いすぎたので、地下鉄の場所を聞くのに思わず「地下鉄いくらですか?」と聞いてしまい、おばさんにきょとんとされた。会場に早く着き、まだ結構時間があった。辺りを見回すと、パソコンが3台あり、インターネットが無料で使えるようになっている。さすが韓国である。英語の話せるスタッフと雑談をした。NANTAの劇は、5チーム (白チーム、青チーム、黒チーム、緑チーム、赤チーム) が交代でしているらしい。今日は黒チームである。スタッフの人たちは、毎日無料で見れるらしい。実際、僕が話した人は毎日見ていると言っていた。ここだけの話、白チームが一番良く、続いて青、黒、緑、赤チームがいいらしい。開場の時間となり、席に着く。僕の席、S席は、一階の後ろの方である。VIP席の方が絶対にいいが、S席でも十分良かったと思う。少し隣に座った韓国人と雑談しているうちに、20:00になりNANTAが始まった。スクリーンに韓国語、英語、日本語、中国語の4カ国語で「こんにちは」「この劇では自由に歓声を上げたり、拍手をしたりして下さい」「みなさん、拍手をして下さい」「歓声を上げて下さい」「女性だけ」「次は男性だけ」「さあ、右の人にご挨拶」「左の人にご挨拶」「次は前の人」「次は後ろの人」などの言葉が表示された。最初からすごい盛り上がりである。NANTAの劇 (パフォーマンス) は素晴らしかった。一人一人のパワー、歌、踊り、打楽器、照明。観客に手拍子をさせたり、観客の一部を舞台に上がらせて参加させたり、みんな一丸となって楽しんだ。終わったら、すぐにサイン会があり、今まで遠くの舞台にいた人たちが目の前にいた。感動である。サイン会の後、一緒に写真撮影もできるとのこと。僕は急いでいたので、すぐに劇場を出た。NANTAの素晴らしさは、言葉では表現しきれないので、みなさん、是非見に行って欲しいと思う。21:30頃に劇は終わった。

NANTAが終わると市庁駅に行くことにした。劇場には、ソデムン駅から来たので、逆方向である。いつものように韓国語で道を聞く。すると彼は、「あの〜、え〜っと、じゃあ〜」と日本語で言った後、「一緒に行きましょう」と韓国語で答えが返ってきた。明らかに日本人である。聞くと、僕と同じ高知市出身。短期間韓国に来ているらしい。彼は日本人なのに道はよく聞かれると言っていた。僕も実際、韓国滞在中に何度か道を聞かれた。彼が言うには、「迷ったら道を聞け」みたいな諺があるくらい韓国人は道をよく聞くらしい。

駅に着くと、すぐに友達に電話をかけ始めた。時間が遅いので失礼とも思ったが、とにかく友達に連絡を取りたかった。友達5人に電話した。携帯の番号を持っていなかったり、携帯に電話して繋がらなかった人には、家に電話した。当然、本人ではなく家族が出てくるので、大変だった。「〜さんいますか」「英語分かりますか」という2文だけでなんとか頑張った。たまに「英語いますか?」なんておおぼけな間違いもして、向こうに「誰?」なんて言われたりもしたが、何とか3人と会う約束を取った。

電話が終わり、駅のプラットホームに行く。電車が来ていたので、方向を間違っていたら引き返せばいいやなんて気持ちで乗り込んだ。案の定、電車は逆方向へ。すぐに次の駅で降り、逆方向のプラットホームに行こうとしたら、行き先の違う2つのプラットホームは繋がっていなかった。そこで電車を待っていたおじさんに聞く。彼は、たまたま日本語の話せる韓国人だった。最初は日本人かと間違えてしまった。大阪に2年間いたということだが、はっきり言って日本人と間違える程日本語がうまかった。彼にバーの下をくぐれと言われた。最初は言っていることがよく分からなかった。韓国の改札は、バー (つまり棒) があって、それをお腹で前に押しながら通るようになっている。一人が通ったら、また別のバーが出てくる。日本でも遊園地などで同じようなものを見かけるのはないでしょうか。バーを押して進もうとしても、切符を入れないと、ロックされて動かないのである。後で分かったことだが、韓国人は、平気でバーの下をくぐっている。僕も、駅員さんがいなかったので、言われた通りにバーの下をくぐって改札を出て、またバーをくぐって反対側のプラットホームに入った。階段を降りると、反対側のプラットホームに、くぐることを教えてくれたおじさんが見えたので遠くから再びおじぎをしてお礼を言った。

夜遅くなってやっと合井駅に戻った。辺りは暗く、雨が降り、雷が鳴っていた。駅からゲストハウスへ帰る途中、僕が方向音痴な上に辺りが暗いので、道に迷ってしまった。あるおじさんに道を聞くと、親切にも車を出してくれ、後ろに乗れと言ってくれた。近くまで乗せてくれた。車を止めると、指を差しながら「その道を行くといい」みたいなことを言っている。お礼を言うと、そのおじさんは行ってしまった。でも降ろしてくれたところがどうもよく分からなかった。とりあえず言われた通りにその道を行くが、どうも違うところに来ているようである。今度は、たまたま通りかかったタクシーを拾う。聞くとよく分からないようである。それでも後ろに乗れと言うから、後ろに乗ると、ゲストハウスからどんどん離れて行く。「ここゲストハウスと違う方向じゃないですか」みたいなことを言っても、そのことはちゃんと伝わっているようで、「大丈夫」みたいな雰囲気だったので、とりあえず様子を見ることにする。大通りでタクシーは止まり、「ここで別のタクシーに乗り換えろ」みたいなことを言われた。つまり、彼は、僕が探しているゲストハウスは分からなかったので、タクシーの拾い易い大通りまで連れて行ってくれたのである。お金は払わなくてもいいということなので、お礼を言ってタクシーを降りたのだが、他のタクシーの運転手がゲストハウスの場所を知っているとは思えなかったので、歩いて引き返すことにした。またゲストハウスの近く辺りに辿り着くと、子連れ夫婦に道を聞く。子供はお父さんがだっこしていた。この夫婦、ゲストハウスの場所を知らなかったのに、雨と雷の中、僕が持っていた一枚の地図を頼りに一緒に歩き回って探してくれた。探し始めること約30分、ようやくゲストハウスが見つかった。雨の中、ゲストハウスの前で傘を差した僕は、ひたすら頭を下げ続けた。その夫婦が帰っていく。たまに振り返って僕の方を見た。また頭を下げた。2人が見えなくなるまで頭を下げ続けた。言葉では「ありがとう」という単純な言葉しか言えない。だから雨の中、頭を下げ続けることが僕のできる唯一のことだった。

ようやく帰り着いた僕は、途中で買ったカップラーメンを食べ、2:30頃に床についた。

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[2003年7月25日]

この日は、朝6:00に起きる。この日の予定は、朝は友達と会って、その後、釜山へ行く日である。まだ切符も取っていないし、何時に行くかも決めていないけど、とりあえず釜山に行く日である。釜山への滞在は一日だけなので、小さいバッグに貴重品と一日分の衣服や洗面用具のみを入れ、残りの荷物はソウルのゲストハウスに置いたまま出かけた。この日の宿は、釜山とソウルの両方取ってある。ソウルのゲストハウスだが、25日に出て26日に帰ってくるのに25日の夜だけ払わないというのは失礼だと思ったし、一泊わずか17000ウォン (1700円) なので、払うことにした。荷物置き料と考えたらいい。

友達と待ち合わせしたカンナム駅に着く。待ち合わせ場所に早めに着き、友達を待つ。15分過ぎても来ない。近くの公衆電話から友達の携帯に電話する。「もしもし、かずおです」と言うと、向こうも「もしもし」と言う。「どこにいるの?」「何してるの?」と言うが、向こうは「もしもし」を繰り返すだけ。どうやらこちらの声が聞こえてないらしい。どうしてかは全く分からない。仕方がないのでもう少し待つことにする。その場所は全然知らないので、友達が来ないと、どうしていいのか分からない。30分くらい待ったところで、隣で誰かを待っている様子の女性に聞く。メモを見せながら、「この駅でこの改札が待ち合わせ場所だけど、ここですよね?」間違いないらしい。そうして聞いている間にその人の彼氏と思われる男性が来る。彼女は、その彼と少し話すと、用事があるらしくてその場を離れた。その場に残った彼は、僕のことを心配してくれ、僕の友達に彼の携帯から電話してくれた。すると、僕の友達が電話に出て、その彼が代わりに話してくれた。どうやら、僕の友達は急用で遅れるということだった。何度も謝っていた。その彼は、まだ帰らず、近くのカフェで一緒に友達を待とうと言ってくれた。コーヒーをおごってくれ、何か食べるものはいらないかと非常に親切にしてくれた。彼は英語が少しだけ話せた。30分くらいカフェでいろいろ話した。友達が到着し、友達と一緒に彼に再びお礼を言った。そして彼は帰って行った。

友達とレストランへ行く。タコの入った鍋料理を食べた。その後、近くのスターバックスへ。友達が遅れたこともあり、そんなに時間が無かったので、短い時間をその友達と過ごした後、タクシーでソウル駅へ向かう。ぼったくられたら嫌なので、運転手に、後で領収書が欲しいと言う。その時はうなずいたが、結局領収書はもらえなかった。でもたぶん、遠回りをしたようには思えないので、大丈夫だと思う。ソウル駅に着き、そこから電車セマウル号で釜山に行くことにする。聞くと、次に空いているのは22:30pm発と言われた。3:00am着である。それでは困る。バスにしようと思ったが、どこに行けばいいのか分からなかったので、案内をしていたおばさんに聞く。すると、代わりに電車の時間をもう一度聞いてくれた。今度は、次に空いているのは18:00pm発だと言う。どうなっているんだと思いながら、また別の受付に行く。今度は英語を話せる人なので話が早い。キャンセル待ちをするかと聞かれ、お願いしたら、あっさりと16:00発の切符をゲット。駅で待つことにする。駅を見回すと、23台のパソコンがずらりと並んでいる場所を発見。インターネットを無料で使えるようにしている。改めてさすが韓国。

時間が来て、電車に乗り込み、釜山へ向かう。電車の中では、寝たり、この日記をメモ帳に書いたりしていた。釜山へ向かう途中の景色は、山や田んぼばかり。本当に韓国で2番目に大きい都市に向かっているのかと思いながら、ぼーっと景色を眺めていた。

釜山に近づくと、景色ががらりと変わり、街の灯が見えてきた。8時20分、予定より10分遅れで釜山に到着。4時間20分かかった。駅に着くと、すぐに釜山の友達に電話。無事繋がって、泊まる予定のゲストハウスが広安駅の近くにあると言うと、彼女も広安駅の近くに住んでいるという。すごい偶然。広安駅で待ち合わせることにする。広安駅に着くと、友達が彼氏と一緒に車で来ていた。友達と一緒に歩いてゲストハウスを探し、少し迷ったが、無事到着。友達もそのゲストハウスから約10分のところに住んでいながら、その存在を知らなかったらしい。チェックインを済ませる。ドミトリー (複数の人で一部屋を共有) だが、その日は誰も泊まっていなかったので、シングルと同じだった。彼氏の運転で、定食屋さんへ。もやしとご飯などが入った韓国料理を食べ、また明日会おうと別れる。友達の彼氏とはここでお別れである。

ゲストハウスに戻ると、日記をメモ帳に書いて寝た。

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[2003年7月26日]

朝8時に起き、朝食を食べる。シリアル、食パン2枚、ミルクがきれいに用意されていた。一泊15000ウォン (1500円)にしては、十分すぎる朝食である。朝食後、インターネットが無料で使えるので、帰りのバス、電車の予約の電話番号を調べる。ハングルの検索はよく分からないので、英語を入れて検索するが、すぐには見つからなかった。帰りのバス、電車のホームページは、韓国語のホームページなので、ハングルで検索すると一発であろう。検索している途中にゲストハウスのオーナーの方が起きてきて、電話番号を知っているというので教えてもらった。お礼を言ってゲストハウスを後にする。友達とはゲストハウスの前で待ち合わせていた。少し待つと友達が車で来た。今から切符を予約すると言うと、友達が代わりに電話してくれた。2時発の電車セマウル号を予約した。

友達の運転でヘウンデビーチへ行った。美しいビーチである。その後、ナンポドンへ行った。ショッピングにいい場所である。ハングルの入ったTシャツを見つけたので5枚買った。その後、韓国の冷麺を食べた。ちなみにこの日は疲れのピークに達していた。さすがに三日間ずっと歩き続けて、睡眠もそんなに多くとっていないと、疲れる。

釜山を十分に楽しんだ後、引き続き友達の運転でソウル駅に向かった。この時、少し渋滞していて、ソウル駅に着いたのが1:45。2時発なので、後15分である。駅内に入ると各受付で10人くらいの列。僕は間に合うだろうと思っていたが、焦っていたのは彼女の方。特に後1人というところで僕らの前に並んでいたおじさんが、長いやり取りを始め、切符の購入もクレジットカードでしていたので、時間がかかった。その時、友達がいらいらしているのを感じた。無事切符を購入し、友達にお礼とお別れを言った後、電車に乗り込んだのが5分前。ぎりぎりだった。

18時35分、予定の18時28分より少し遅れてソウルに到着。同じゲストハウスに戻った。

夜ご飯を食べてゆっくりしていると、日本人の女の子がこのゲストハウスに入ってきた。英語がめちゃくちゃうまかったので、聞くと、1歳から11歳までアメリカにいたらしい。家では日本語だったらしくて、日本語も英語もネイティブ、完全なバイリンガル (2カ国語話者)である。まだ18歳の高校生なのに、TOEFL(CBT)満点なんてネイティブでも取れない驚異的な点数を持っているらしい。TOEFLを知らない方のために言えば、TOEFL満点は、TOEIC満点や英検1級取得より桁外れに英語ができると考えておいていい。ディベート、スピーチ、模擬国連の経験有り。将来は、アメリカの大学で物理を勉強して、アメリカの大学院で法律を勉強する予定らしい。この夜は、遅くまで、この恐るべし高校生と話していた。

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[2003年7月27日]

この日は昼まで寝ていた。前日、疲れのピークに達していた上に、遅くまで話していたので、起きられなかった。起きてからもかなりゆっくりしていた。

4:00にパゴダ公園前で友達と待ち合わせ。初めての韓国旅行で会った友達である。その付近の地図も無いので、人に聞きながら公園を探す。やっとその場所らしきところにたどり着いて、そこにいたおじさんに聞くと、たまたま日本語の少しだけ話せる人だったので、日本語で話してきた。でも僕の韓国語と大差ない日本語のレベルである。何だかちょっと待ってと言って、その場を離れたかと思うと、両手にジュースを持って戻ってきた。韓国のジュースと言いながら、どうぞと手渡された。ジュースを飲みながら、そのおじさんと話していると友達がやって来た。そのおじさんにお礼を言って、友達と仁寺洞 (インサドン) に行った。韓国の伝統的なものなど、いろいろなものが買えるショッピングの場所である。あちこち見て回り、その後、少し早い晩ご飯を食べた。鶏肉とじゃがいもなどが入った料理である。糸こんにゃくも入っていて、それをお箸で皿に取ろうとつまんで持ち上げたところで友達が急にはさみでばさり。取りやすいようにはさみで切ってくれた。日本では、料理をはさみで切るというのは見たことないが、韓国では普通だそうである。その後、友達があまり時間が無いようで、その周辺で特に行く場所もないと言われたので、一緒にノレバン (カラオケ) に行くことにした。

韓国では、(日本で言う) カラオケには2種類あるらしい。ノレバン (「ノレ」が歌で「バン」が部屋なので、「歌の部屋」ということ) とカラオケである。ノレバンというのは、カラオケのみでアルコール禁止。カラオケではアルコールがOKらしい。僕が行ったのは、ノレバンの方である。店に入ると、待ち時間があったので店員と話すことにする。待っている間、コーヒーを無料でくれた。店員が「前払い」という日本語を知りたがっていて、日本語も話せる僕の友達が教えてあげていた。日本人客が多く、これを言えないと結構困るのだろう。

時間が来て、カラオケの部屋に入った。画面が大きい以外は特に日本のカラオケと大差がない。日本では、一般家庭にあるようなテレビが置いてあるが、韓国のスクリーンはとにかく大きかった。友達に韓国語の歌を歌って欲しいと言ったが、韓国語の歌は知らないと言う。韓国語、日本語、英語の三カ国語を話す彼女だが、日本語と英語の歌しか歌わない (聞かない?) らしい。そこで一時間歌って過ごした。

ゲストハウスに戻ると、昨日、お世話になった釜山のゲストハウスにお礼のメールをした。礼儀ではあるが、同時に後々、再びそのゲストハウスを訪れる時のためにもなる。

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[2003年7月28日]

この日は、朝7:30頃に起き、8:30頃に出た。もうその日は、荷物をまとめて出て、駅のコインロッカーに荷物を預けて回ろうと思っていたので、ゲストハウスのオーナーの方にお礼を言って出た。合井駅に着くと、荷物をコインロッカーに預けに行った。後でコインロッカーから荷物を出して空港行きのバスに乗るので、バス乗り場から一番近いコインロッカーに荷物を預けたかった。英語の話せない駅員さんに必死に説明するも、どうも分かってもらえない。そんな時、横から英語で「お手伝いしましょうか?」("May I help you?")という声が。英語の話せる韓国人が助けを差し伸べてくれた。無事、彼の通訳でバス乗り場の最寄りのコインロッカーに荷物を預け、ロッテワールドという遊園地に向かった。

途中、乗り換えがよく分からなかったので、電車を待っている人に聞くことにした。後ろから見ると、少し外国人っぽく見える女性がいて、さらに電子辞書で何かを調べていたので、英語で「英語話せますか?」("Do you speak English?")と聞いた。「はい」("Yes.")と答えが返ってきたが、実は髪を染めていて、顔が少しだけ欧米系の韓国人だった。聞くと、同時通訳を目指して勉強中。少し英語で英語の話をした。

合井駅から1時間程度でロッテワールドに着いた。月曜日なので、空いているかと思えば人が結構いた。よく考えたら、夏休みに入ったばかりの時期である。まずは、定番の船が左右に揺れる乗り物の行列に並ぶ。待ち時間、話し相手がいないので、かなり暇だった。やはり遊園地は一人で行くものではない。次に行ったのは、宇宙空間をイメージした館内を歩くだけのところ。全然面白くなかった。次に4D映画というものを見た。立体眼鏡を付けて見るので、3D映画なのだが、それに加えて前の席の後ろにある穴から水や煙が出てきたり、椅子が急に動いたり、足元にも電気か何かが出てきたりして、これはかなり楽しめた。

食事をして、ロッテワールド内にある民族博物館に行った。入場料と別に追加料金を払ったのに、非常に短く、あまり面白くなかった。

あまりロッテワールドが面白くなかったこともあるが、8:00pmの飛行機にかなり余裕を持って乗れるように1:00pm頃にロッテワールドを後にした。2:00pm頃に合井駅に戻った。そこで荷物を預けたコインロッカーに行く。コインロッカーの使い方は分かっている。でも開かない。こんな時にトラブル。道行く人に聞く。やってもらうが開かない。仕方がないので、コインロッカーの会社に電話する。英語が通じない。誰も英語が分かる人がいない様子である。韓国語と簡単な英単語で必死で説明する。しばらくして、やっと英語が分かる人が電話に出た。こちらに15分以内に人をよこすと言う。なかなか来ないので少しいらいらしていると、20分くらいしてやっと人が来る。何だか簡単に開けてくれた。原因はよく分からなかったが、荷物が大きすぎるからだめみたいなことを言われた。そんなことを言われても、どこにも大きさ制限や重量制限なんて書いていない。よく分からなかったが、無事荷物を取り出し、空港に向かった。

空港には、3時間前の5:00pmに到着した。お腹が空いていたので、何か食べようと思った。どうせ飛行機に乗ったら夜ご飯が出てくるので、何か軽いものにしようと思った。韓国料理が食べたかったが、どうも軽いものが無い。結局、中国料理店でサムソンタン麺を食べることにした。意外と結構お腹がはった。

6:00pmに友達と会う。初日7/23に会った友達である。たまたま帰りの飛行機が同じということで、待ち合わせた。その友達、荷物がたくさんあって、僕は一つしか無い。ということで、彼女の荷物の一つを僕が代わりにチェックインしてあげた。そうしないと、彼女は高い追加料金を払わないといけなかった。席を隣に取り、一緒に話しながらシドニーに帰った。

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[2003年7月29日]

この日の早朝、ようやくシドニーに到着。韓国 (日本) とシドニーでは、1時間の時差があるので、腕時計を1時間進めた。家に帰って、ホストマザーに挨拶すると、夕方から授業なので、目覚ましをセットしてすぐに寝た。夢の中でも、まだ片言の韓国語を必死に話していた。起きて、シャワーを浴び、駅に向かう。駅で腕時計を見ると、既に授業が始まっていることに気付く。腕時計は1時間進めていたのに、不覚にも目覚まし時計を1時間進めるのを忘れていた。最初の授業に1時間も遅れて到着。さらに初めて時差ボケらしきものを経験。授業中は、ずっと頭がボーッとしていた。何だかお酒を飲んで酔っているような、ふわーっとした感覚である。さらに頭はまだ韓国語モード。授業が終わって家に帰ると、すぐに寝た。起きて、夜ご飯を食べると、また寝た。

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[後記]

今回、何人かの友達に勧められたツアーなどには参加しなかった。ツアーだと、日本語を含む複数の言語で行われ、言葉の問題もなく、効率良く回れる分、旅の楽しみが半減するような気がしたからだ。全く知らない土地に無計画で行き、かなり無駄に時間を過ごした。でも、振り返ってみると、その無駄が良かった。いろいろなところで道に迷い、韓国人の優しさに触れた。道を聞かなくても、地図を広げていると、向こうから助けを差し伸べてくれた。今後は、困っている人を見かけたら、こちらから話しかけていこうという気になった。非常に無駄の多い有意義な5泊6日の韓国旅行だった。

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